2008年9月29日月曜日

ピートとパパの会話(その19 完全無農薬栽培編)


ピー  「パパの完全無農薬実験農場の話を聞かせてよ」
パパ 「実験農場じゃなく、実験トロ箱だ」
    「家の南側にトロ箱を数個準備して、野菜や米を
     栽培したんだ」「所謂家庭菜園の部類さ」
    「それを無農薬で行っただけだよ」
ピー  「ドラエモンに出てくる趣味の日曜農業セットかぁ」
パパ 「トマト・キュウリ・ナス・里芋・等々、それに米」
    「米作は、トロ箱に水をはって田圃に見立てたんだ」
    「田植えもしたよ、はは」
ピー  「またどうして無農薬栽培を始めたのさ」
パパ 「素人が出来るかどうか実験しただけだ」
    「問題は、自前の有機肥料作成と病虫害対策だね」
    「有機肥料は、里山の落葉から作った堆肥だ」
ピー  「ホームセンターで菜園用の土や肥料を売っているのに~」
パパ 「堆肥作りから収穫まで、全て自分でやるのが面白い」
    「それに、土壌の変化にも興味があった」
    「色々細かいことがあるんだけど、結果だけを言うと、
    一回目の収穫が一番良かった」「こんなに採って
    いいのかと思うくらい収穫できたね」
ピー  「二年目からは、何か問題でも?」
パパ 「小さな箱で栽培していると、地力が直ぐ落ちるんだ」
    「毎年堆肥を施すんだけど、何故か収量が下るし、
    病虫害も出やすくなった」
    「作付け地を換え、連作障害に注意していても難しい」
ピー  「原因不明?」
パパ 「毎年同じようにしているつもりでも、何かが異なるん
    だろうね。チッソ・リン酸・カリの配分とかね」
    「最初の年は、土の中にシマミミズがいた」
    「地力が落ちるに従い、普通のミミズに取って代わり、
    数も少なくなっていったね」
ピー  「ほう、面白いね。土壌の変化が、生物の変化に繋がる
    のかぁ」
パパ 「それと、一年目は病虫害の発生が殆ど無かったね」
    「これも地力と肥料配分に関係がありそうだ」
    「収量を欲張って多肥料にすると、逆に収量と品質が
    落ちてくる」
    「特にチッソ肥料の量が難しい。これは虫害に関係してくる」
ピー  「は~ん、単位面積当たりの施肥量を増やしても、収穫量は
    増えないのか。これは、収穫逓減の法則でないかい」
    「何かノウハウがありそうだな? ミミズも関係するのかな」
パパ 「オッ、経済学を知っちょるな」
    「収穫逓減の法則は、投下労働力と収穫の関係を説明するの
    だけど、これを生産要素の変化だと考えると、一回目の
    収穫以降は限界生産力の問題かも知れないね」
ピー  「ちょっと、それって偏微分方程式で解くんじゃないのん」
    「趣味の箱庭農業を、経済理論で説明するのやめてよ」
パパ 「結局、肥料の投入量は、経験によるノウハウからその分量を
    決めるしかないね。それによって、収量と病虫害の発生
    度合いが違ってくる」
    「でもね、完全無農薬の有機栽培ってのは、面白いよ~」
    「自然の営みが分かってくる」
ピー  「例えば?」
パパ 「害虫の発生を抑えるため、菜園にカマキリを放すんだ」
    「で、冬の里山へカマキリのタマゴを見つけに行くわけよ」
    「すると、カマキリのたまごは、どういう環境下に産み付け
    られているかが分かる」「大抵、南側の日当たりの良い
    場所で、ススキの枯枝なんかがある所ね」
ピー  「昆虫採集の学習だ。小学生がいると喜ぶね」
パパ 「ところが、タマゴを捕って帰って菜園に枝ごと刺しておくと、
    孵化時に蟻がその下で待ち構えているんだな」
    「それはもう、大量に生まれてくるからね」
ピー  「自然の食物連鎖だ」
パパ 「しかし、そのうち何匹かが生き残るわけだけど、
    季節が終わってみれば、毎年必ず一匹だけになっている」
    「食物の縄張りがあるんだろうね。他は移動して行くようだ」
    「そういう自然のことが、だんだん分かってくる」
ピー  「そのうち精霊が出てくるんじゃないの」
パパ 「そう、精霊とか穀物神とかの信仰が生まれる雰囲気が
    分かるような気がするね」
ピー  「文明の起源だ」
パパ 「そこで、自然農法をちょっとかじってみると面白い」
ピー  「自然農法は嫌いじゃないの」
パパ 「変にイデオロギーと結び付けるところが嫌なだけで、
    技術的には興味深い。天敵の利用とかね」
    「小さな菜園でも、カマキリ、てんとう虫、トンボ、
    小鳥もやって来る。勿論害虫もね」
ピー  「人生の楽園じゃない」
パパ 「自然との闘いじゃ。虫のために作っているようなもの
    じゃった」「特に、夜盗虫には参ったね」
ピー  「夜、こっそり野菜を食いにくる奴だろう」
パパ 「懐中電灯で見つけるんだけど、まぁー、手間だよ」
    「市販の野菜類は、そらもう殺虫剤たっぷりだー!・・・
     ということも、体験的に分かってくる。恐ろしい~ぞ~」
ピー  「聞いているだけで、オエが出そうになる」
    「米はどうしたのさ?」
パパ 「病虫害もなく、何とか収穫できたね」
    「脱穀は、千歯こきが無いから手でしごいた」
    「精米は、一升瓶に米を入れ、それを棒でつつくんだ。
    二時間ほどで七分つきになる」
ピー  「上の写真のやり方だね」「それで食べたの」
パパ 「食べたけど、美味しくなかったね」
    「プロが作った米は、同じ品種でもやはり美味い」
    「実験品種は、日本晴れを使った。足の短い腰の強いやつね。
    背丈が低いから風に強いんだ」
ピー  「で、無農薬栽培をやってみてどうだった?」
パパ 「結局、農薬を使わないと駄目だね。野菜なんて、種類に
    よっては全滅するよ」
ピー  「タデ食う虫もいるしね」
パパ 「農薬を使わずに、その辺をうまくコントロールしていくのが
    自然農法だと思うけど、過去の農薬使用で、益虫とかの
    営みもぶった切ったからね~」
    「ま、自然への原状回復が大変だわさ」
ピー  「総括すると、農薬使用は、害虫をやっつけて収量を上げて
    いるのではなく、労働時間の削減でしかないということか」
パパ 「そう、投下労働力に対する単位時間当たりの収量が増加
    しているだけで、総量は変わらん。農業も経済で説明がつく」
ピー  「兼業農家でもやっていけるのは、農薬の効用によるのかな」
パパ 「そうだよ、農薬を使う前は、田圃や畑に一日中人が働いていた」
    「今は見かけないよね」 「時間的余裕が出来たから、働きに
     出られるようになったんだ」
    「日本の農家は、それで豊かになってきた」
ピー  「一概に農薬批判は出来ないね~。それと、田畑に人が居ないから
    山間部の猿害が増えてきたのかな」
パパ 「それも一因だろうね。自分でやると色々なことが見えてくるよ」

2008年9月25日木曜日

ピートとパパの会話(その18 自給自足編)


パパ 「日本で自給自足って可能だと思うかい?」
ピー  「可能じゃないの、実際にやっている人もいるよね」
パパ 「不可能だ! 算数で説明がつくよ」
パパ 「では、自給自足を具体的に考察して見よう」
    「パパは20年程前、自給自足に必要な一人当たりの
     耕地面積を基に、日本の国土で養える人口を
     推定3000万人と見積もった。穀物生産だけでね」
    「これは丁度、江戸時代の人口と一致する」
ピー  「たったそれだけの人口!」
パパ 「そこでだ、日本の人口は、約1億2千万人だよね」
    「自給自足の場合、パパの計算からすると3000万人しか
     養えないから、残り9000万人は飢死するしかないね」
ピー  「えーっ!」
パパ 「政府発表の食料自給率40%から計算しても、4800万人しか
     食えない」「これはカロリーベースの自給率で、
     約2580Kcal 程度を想定している。この数値は少々メタボだ」
ピー  「残り7200万人の食料は、単純計算で輸入に頼っている
     ということだね」
パパ 「平成18年の農業人口は、約790万人だから、自給率100%想定
     の4800万人から換算すると、農民一人当たり5人の国民を
     養う勘定になるね」「これは、江戸時代の25倍以上だ」
ピー  「すごい効率アップだね」
パパ 「農業の機械化によるものだろうね」
ピー  「仮に1億2千万人を食わすとなると、2400万人の就農人口と
     更なる耕地面積の拡大を必要とするね」
パパ 「耕地面積は、穀物生産だけで今より4倍必要となる」
    「全て机上計算だけど、こりゃ自給自足は無理というものだよ」
ピー  「何か手立ては?」
パパ 「後進国並に摂取カロリーを1700Kcal まで落とせば、
     自給率60% 約7200万人くらいは自給可能だろうけど」
    「これは1965年頃の自給人口に相当する」
ピー  「それでも4800万人分の食料輸入が必要なんだね」
    「自然農法でやればどうだろう」
パパ 「自然農法や有機農法は、自給自足とはまた別の問題だよ」
    「これは農業技術の範疇で、技術的な結果を自給自足に
     結びつけているに過ぎない」
ピー  「この前他界した福岡正信氏は、自然農法の提唱者だっけ」
パパ 「彼は、穀物のみで蛋白質の補給も可能だと言っていたな」
    「それと、農民以外は全て石油依存の職業だと説いていた」
    「医師も技術者も科学者も商人も全てね」
    「相対性理論なんか糞食らえだと言うんだ」
ピー  「変わった人だね」
パパ 「国民皆農主義で、脱石油による自給自足を目指して
     いたと思う」
ピー  「農業以外は、無駄で不要だという考え方だね」
    「だけど日本には、医療も政治も軍事も外交も必要だよね」
パパ 「たちまち電気・水道・ガスをどうするかだ」
    「福岡という人は、原始共産主義者のような気がする」
    「かつて、ポルポト政権が、原始共産社会を目指したん
     だけど、農業以外で食っていた人々を殆ど虐殺した」
    「世界は、敵対勢力への虐殺だと言うけれど、農業経済的
     に考察すると、別の答えが出てくる・・・・」
ピー  「日本の自給自足の実体ってどうなのかな」
パパ 「そうだね~、自給自足の人々の生活は、農業以外で生活を
     賄っている人々によって保障されているって、分かるかな」
ピー  「つまり、政治、外交、軍事、医療、教育、商工業について、
     その全てを食料輸入組の人々がやってくれている」
    「だから、その傘の下で何の心配もなく自給自足が出来る
     ということかな」
パパ 「そういうこと。単純に国民皆農とか自給自足を押し付ける
     人々は、そのことに気付いていないんだ」
    「それと、何千万人もの食えない人々が出てくることもね」
ピー  「日本は、平和外交と貿易の促進を図らねば」
パパ 「次回は、パパの完全無農薬栽培の実験報告をしよう」

2008年9月22日月曜日

ごあいさつ



おいらのブログを観てくだすってる皆々様(そんなにいないか・・・)。
28日に、市民運動会があるんだけんども、おっ母が自治会の体育係を仰せつかっておって、おいらの代筆をしてる時間がないんだと。
おいら、キーボード叩いてみたけんども、肉球ではどうもねぇ・・・。
で、運動会が終わるまで、ちと、失礼させていただきますんで。 ペコン!

 


2008年9月19日金曜日

ピートとパパの会話(その17 音楽教育編)


ピー 「音楽教育に日本と欧米の違いってあるの?」
パパ 「あるある、特に西洋音楽はね」
    「明治以降の日本は、近代化の底上げのため、
    国民全体への一律教育を行う必要があったんだ」
ピー 「個人指導の教育じゃないの?」
パパ 「ちゃうちゃう。音楽に限らず芸術は、個性が昇華
    したものなんだけど、その個性を尊重している余裕は
    無かっただろうね」
ピー 「没個性の方針だね」
パパ 「ま~ね~、日本の義務教育下で行う音楽教育は、
    例えばね、'はい四拍子、誰やー、おかしな拍子で
    やっている者わぁー、クニサダ(国定)教科書のとおりに
    やらんかー、バカモーン、皆と同じようにするんじゃー’
    と、いう具合だね」
ピー 「ふぅ~、教育とは、皆と同様にさせることか」
パパ 「ま、一番手っ取り早い底上げ教育の方法だね」
   「だから個性的で優秀な音楽家は、欧米でしか育たない」
   「前回の前橋汀子も、日本の音楽教育に限界を感じ、
    17歳でレニングラード音楽院へ行くのさ」
ピー 「そうか~、それで皆さん留学するのか~」
パパ 「あのね、演奏者の場合なんだけど、オケ弾きと
    ソロ弾きというのがあって、音楽に対する感性が
    全然違うんだ」「オケ弾きは、皆と仲良く演奏
    していくタイプ。ソロ弾きは個性的だ」
ピー 「すると、日本の音楽教育は、オケ弾き向きだね」
パパ 「というより、オケ弾きにされちゃうんだな」
   「日本じゃ個性は殺される」
ピー 「恐ろしい」
パパ 「ソロ弾きを目指すには、出来るだけ早く欧米で
    教育を受けた方が良いだろうね」
    「感性の磨かれ方が違う」
    「例えば、楽譜から作曲者の意図を読み取り、
    どのように感情表現すべきかを指導してくれる」
   「素晴らしい演奏は、指導能力の結果でもあるね」
ピー 「'足並み揃え教育'しか受けていない日本の先生は、
    個人の能力を引出したり、どのように感情表現
    するかの教育技術を体得していないんだね」
パパ 「極端に言えば、日本じゃ楽譜どうりに弾けりゃいい」
ピー 「それでは何の面白味も無いね」「音楽に対する興味が
    薄れる」
パパ 「それは、先生の責任というより、ま~、社会システムの
    違いだろうねぇ」
   「日本社会がそういう基準で出来上がっているのさ」
   「企業でも、同じ物を高品質で大量生産する技術は
    素晴らしいんだけどね・・・」
ピー 「この国の全てのものの在り方に、没個性という共通の
    概念を感じるね」
パパ 「そらもう、教育の第一方針は、従わせることにありきだ」
   「しかし、このような一律教育は、明治以降に始まった」
   「維新までの文化や芸術は、世界に冠たるものが揃っている」
ピー 「明治以降は、全体主義教育の恐ろしさを感じるな~」
   「で、欧米ではどうなのさ」
パパ 「個人の能力を如何に引出すかに重点を置く教育だね」
   「日本のスポーツでも、優秀な選手は全て個人指導だ」
ピー 「おいらは、欧米で教育を受けたいな」
パパ 「どちらを選択するかは自由だけど、世界と競争するには、
    日本流ではチト厳しいね」
ピー 「アメリカじゃ、義務教育も受けていないストリート
    ミュージシャンが、素晴らしいジャズの演奏を聴かすね」
パパ 「芸術は感性だからね」
   「そして、教育は、その能力を見つけ、伸ばしていくことが
    使命だと思うんだ」
ピー 「日本の音楽教育って、良いところがないじゃん」
パパ 「そうとも言えない」
   「例えば、ヤマハの音楽教室なんか素晴らしいね」
   「教育プログラムが、物凄くシステム的に組まれている」
   「あるレベルまで持上げる教育としては、最高じゃないかな」
ピー 「先程の一律教育じゃないの」
パパ 「そうなんだけど、これは日本が生み出した一律教育の
    素晴らしい集大成だ」
   「それ以上を望むなら、個人指導を受ければいい」
   「あの、パパはヤマハと一切関係無いしぃ~」
ピー 「でも将来、プロの音楽家を目指すには、聴音も必要だろ」
パパ 「それも全てプログラム化されている」
   「聴音は、プロに必要な条件だから、幼い頃から教育を
    受けた方がいいね」
ピー 「日本と欧米、どちらがいいかは、その人の個性や能力
    によって選択すればいいということかな」
パパ 「次回からは、皮肉や毒舌を交えながらの雑談といこうぜぃ」
ピー 「はは、与太話だね」

台風めっ!


機嫌よく散歩に出かけたのに・・・まもなく雨。
眠くもないし、することもないし、退屈だなあ。 あぁ~あ。

2008年9月17日水曜日

お久しぶ~りぃ~ね♪


らぶちゃんと、もこちゃんが、おいらの家に来てくれた。
ともに二歳の、番茶も出花の女の子!
ふたりのパパは、おっ父の幼なじみなんだ。
             (ピート、めちゃめちゃ笑顔)     でも・・・・

らぶちゃん  「ピートくう~~ん、ごぶさたあぁ~ん。」
ピート   「あの、その、ちょ、ちょっとばかし色っぽ過ぎない?・・・」
もこちゃんは・・・・・ 無視!

2008年9月14日日曜日

ぼーっとしてたら、


おいら、呼ばれた!

おっ父、呼んだぁ?  おやつくれるの? ・・・が、

(おっ父の腕にカマキリが・・・  ピート、まだ気付かず。)

なんやこれ・・・????    うえーーーっ・・・

いや、いや、いやや!  おいら、昆虫は苦手や。
どっか遠くへやってしもてって!  
         でも、おっ父、聞いてくれへんから・・・



うんもぉ~~。   いらいらするやんかあ!  ほんまにもうっ・・・
       ううううう~~~~~~~っ       
                         ついに・・・ 
 

おっ父のバカ~~~~~っ!と、うなって・・・
       おっ父と絶交してやった。

2008年9月12日金曜日

カルガモのあかちゃん


君達のおっ母は、どこ行ったん?
そんなにちっこいのに、もう自立してんのかあ。
おいらなんか、こんなにでっかいけどさあ、ずーっと依存しっぱなしさ。
でもね、パラサイトも、それはそれで結構大変だぞー。

ピートとパパの会話(その16 Classic編)


ピー 「今日は、珍しくクラシックの話題だね」
パパ 「そう、ヴァイオリニスト前橋汀子の考察だもんね」
   「彼女がレニングラード音楽院へ留学したのが
    1960年だと思ったな」
ピー 「レニングラードってどこ?」
パパ 「現在のサンクトペテルブルグだよ。ソビエト時代は、
    レニングラードと呼んだ」
   「帝政ロシア時代の首都だよ」「女帝エカテリーナとか
    知らないかなぁ」「彼女が徹底的にロシアの欧州化を
    進めたんだ」
ピー 「昔、学校で習った憶えが・・・おいらにはないか」
   「でも、ソビエトとかロシアとかいうと、野暮ったい感じが
    するなー」
パパ 「そうね、ロシアはヨーロッパの田舎だと言う人もいるが、
    それはモスクワを中心に考えるからだよ」
   「古都サンクトペテルブルグにはね、世界3大美術館の一つ、
    エルミタージュ美術館もあり、純然たるヨーロッパ文化圏の
    一員だよ」
   「もう一つ、学者連は、汎スラブ主義を根底に据えてロシア
    を考えるから、どうしてもロシアとヨーロッパを区別
    したがる」
   「ロシアは、イデオロギー的には汎スラブ主義でも、芸術的
    にはヨーロッパって、分かるかな?」
ピー 「なるほどね、チャイコフスキーの研ぎ澄まされた音楽を
    聴くと、ヨーロッパだと納得できるよ」
   「ロシアの問題は、世界を悩ます拡張主義にあるんだよね」
パパ 「理解してくれてありがとう。次へ進もう」
   「むか~し、前橋汀子がベートーヴェンのスプリング・ソナタを
    やるというので聴きに行ったんだ」
ピー 「レニングラードへ留学していたのに、ドイツ古典派?」
パパ 「おっ! ピーも鋭いじゃん」
ピー 「そらもう、歴史の前提考察から察しがつくよ」
パパ 「ほんで聴いていてさ、もうがっかりだったよ。譜面の音符を拾い
    ながら演奏するんだもん」
   「気持ちが譜面にいってるから、演奏もそれなりなんだよね」
ピー 「そりゃ困ったね。損したじゃん」
パパ 「ところがさ、ドヴォルザークのスラブ舞曲第2番になったとたん、
    素晴らしい演奏に変わった」
   「憂愁味漂うエキゾチックな旋律を、情感を込めて見事に
    表現していた」「これはもう、魂で聴く演奏だ」
ピー 「汀子はんの留学経験が、スラブ舞曲第二番の演奏表現に現れた?」
パパ 「そういう解釈を、パパはしている」
   「前橋汀子のスラブ的な感情表現は、日本ではとても体得できない
    だろうな」「これは、レニングラード音楽院時代に養ったと
    考えているんだ」
   「とにかくスラブ民族と、安アパートで一緒に生活していたん
    だから」
ピー 「ドヴォルザークは、チェコ国民学派だけれど、汎スラブ主義の
    影響下にあったんだろ」
パパ 「おや、ノッてきたねぇ~」
   「汎スラブ主義には、色々な傾向があるんだけれど、
    ドヴォルザークはロシアの影響を受けていた。と、パパは認識
    しているんだ」
ピー 「チャイコフスキーの '懐かしい土地の思い出' にある第3曲
     'メロディ' なんかも素晴らしい演奏だね」
パパ 「魂がこもったはりますな」
   「チャイコフスキーとかのスラブ・ボヘミア系、ジプシー系、
    ラテン系の音楽表現は、前橋汀子の十八番だと思うよ」
   「それと、フィンランドのシベリウスなんかもいい。ここもロシア
    の影響下にある」
   「ブルッフのヴァイオリン協奏曲第一番でも、いい演奏を
    していたな。 これはドイツ・ロマン派だ」
ピー 「すると、古典が苦手なのかな」
パパ 「否、それは聴き手側の解釈によって好き嫌いが分かれると
    理解すべきだろうね」
    「特に汀子はんくらいの奏者になるとね」
    「譜面を見ながらちゅーのは、また別だけど・・・」
ピー 「以前、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータで
    賞を貰わなかった?」
パパ 「1989年のレコード・アカデミー賞だろ」
   「えへへ、この演奏は聴かずにとってある」
ピー 「またどうして?」
パパ 「バロックだろ、これを前橋汀子がどのように奏でているのか、
    先の楽しみにしているんだ」
ピー 「はは~ん、国民学派との演奏比較を狙っているな」
パパ 「その後、前橋汀子は、面白いことに米国のジュリアード音楽院で、
    更なる研鑽を積むことになる」
ピー 「ソ連から米国へ。 両極の体制を経験するんだね」
パパ 「面白いだろう。前橋汀子は、ソ連時代について、その生活の
    大変さを色々語っていたな。体調不良で一度帰国するんだけど、
    その辺の話は別の機会にしようぜ」
パパ 「次回は、音楽教育について考察するか」
ピー 「日本と欧米の違いなんか面白そうだね」

2008年9月11日木曜日

お気に入りバッグ!


新しい散歩バッグ、とても素敵でしょ。
京都のママ(ピートのパピーウォーカーさん)からのバースディプレゼントだよ。

おいらの毛色にとっても似合ってるって!
すれ違う人がみんな、ニコッてしてくれるんだ。

♪・・・おいら、鼻歌まじりのお散歩。
夕日がぁ~、しっぽを~押してくるぅ~♪

あっ、おっ父、防波堤に上った!

2008年9月10日水曜日

ピートとパパの会話(JAZZ編その15)


ピー 「でさ、ジャズという新興音楽が、どうして世界に
    拡散していったのか不思議なんだけど」
   「ジャズって、米国南部の、それも黒人音楽じゃんか」
   「それが何故世界的に・・・」
パパ 「推察して見よう」
   「時代は遡り、1933年のナチス政権発足、1941年の日米開戦が、
    現在におけるジャズの発展に結びついたと考えているんだ」
ピー 「また歴史か~。それは結果論じゃないのぉ」
パパ 「物事は、一度原点へ帰納し、そこから演繹すると理解
    し易い」
ピー 「また訳のわからん事をいふ」
パパ 「歴史の前提はさておき、推察を始めよう」
   「アメリカは第二次世界大戦中、前線兵士の士気高揚のため、
    グレンミラーやカウントベイシーの演奏が入ったV-DISC
    というレコードを、航空機から戦場へ投下したんだよ」
   「日本でいう軍歌が、アメリカではジャズだったんだ」
ピー 「ジャズが軍歌。アメリカは粋だね~」
パパ 「フォスターやガーシュインでは、お上品過ぎて戦意高揚
    にならんわな。もう、鉄砲なんか置いて家に帰ろうとなる」
   「厭戦気分だ」
ピー 「ジャズのリズム感が、戦意高揚に役立ったのかな?」
パパ 「パパはそう考えているんだけどね」
   「大体やね、白人社会で野卑なる音楽と思われていたジャズが、
    理由無くして軍隊で使われる筈がないよ」
ピー 「だとすれば、国策だね」 
パパ 「米国は戦争に勝利後、日本やドイツを始めとする敗戦国の
    大部分へ占領軍を駐留させた」
   「これは、日本・ドイツ・イタリアが世界大戦を始めなければ
    なかったことだ」
ピー 「第二次世界大戦が無ければ、ジャズの拡散も無かった?」
パパ 「そう!」
   「ジャズは、米軍が進駐した各国へ兵士と共に拡散した」
   「GI達の持ち込むレコードからはジャズが流れ、進駐軍の
    将校クラブでは、ダンス音楽としてスウィングジャズが
    演奏された」
ピー 「にゃ~るほど」
    「ヒトラーの出現や日本の真珠湾攻撃が、結果的にジャズの
    世界制覇に結びついたのかな」
    「ジャズは、米国南部の単なる黒人音楽だったのにね」
パパ 「歴史は、強国の文化・芸術が世界を席巻するという事実を
    教えてくれる」
   「パパが子供の頃、進駐軍の家族が、米軍専用の売店PXへ
    キャデラックで乗り付け、あたり一面にゴージャス、
    そして、最高にリッチな雰囲気を漂わせながら買物を
    していく様子は、そらもう羨望の的だった」
   「羨望の的は、彼等の音楽にも向けられた。つまりジャズね」
ピー 「だけど、日独の大衆は、敵国の音楽を割とすんなり受入れ
    たんだね」
パパ 「同じ大衆同士は、理解し得るのさ」「これ以降、ポップス
    を始めとして、戦勝国の音楽がどんどん入って来るように
    なった」「英国からはロックだ」
ピー 「昔から日本人とドイツ人は似ているというね」
パパ 「何故似ていると思う?」
ピー 「さー? 顔付は全然違うしね」
パパ 「ちゃんと理由がある。いずれ伝授しよう」
ピー 「ところで日本は、コカコーラの看板や横文字の氾濫からして、
    アメリカのコピーのような国という感じがする」
パパ 「まぁ、しゃーないね。戦争に負けたんだから」
   「だけど同じ頃、ソビエトからもイデオロギーの
    プロパガンダとして、ロシア民謡なんかが入ってきた」
ピー 「燃えろペチカ、カリンカ、トロイカ、カチューシャだろ」
パパ 「よく知っているね」「京都四条河原町にあった歌声喫茶
    '炎' でも良く歌われた」
ピー 「ソビエトって社会主義国だったんだろ。なんで日本に?」
パパ 「そうだね~、ソビエトの社会体制ちゅーのが、当時の
    日本のインテリ層を魅了したからだろうね」
ピー 「プロパガンダの効果ありだね」
    「で、ソビエトの社会体制ってなによ」
パパ 「そらあんた、唯物史観と労働価値説に基づいた
    プロレタリア独裁の体制だよ」
    「他に、江田ビジョンてーのがあってさ、米国の生活水準、
    イギリスの議会制度、日本の憲法、それとソビエトの
    生活保障が良しとされる考え方があった」
ピー 「そのソビエト体制って、1990年頃に崩壊したじゃん」
パパ 「そのとおりじゃ、山ほどの矛盾を抱えていたからね」
   「でも、当時のソビエト体制下に音楽留学した日本人も
    いたんだよ」「前橋汀子ね」
ピー 「汀子さんて、ヴァイオリニストの?」
パパ 「Yes. その汀子さんだよ。魂のヴァイオリニスト」
   「次回は、汀子さんの話をしようじゃないか」
ピー 「パパも好きだねぇ」

待ってくれ~



おっ母~、早いって。 
おいら、暑いんやから、もうちょっとゆっくり歩いてくれ~。

ご満悦!



散歩の後のおやつと給水が済んで、爽やかな秋風を感じる至福の時。

あ~~~~極楽、極楽。

2008年9月9日火曜日

マイハウスで


夜寝る時、昼寝の時、なあんもすることがない時、
それからっと・・・   「ハウス!」とコマンドが出た時、
おいらはここに来るんだ。
ここで、常に、家のなかの状況を把握してるんだかんな。

大好きな場所


とにかく、ホームセンターが好き!
毎日行っても飽きない。
ここに寄ってくんないと、おいら歩かない。
おっ母は、何にも買わないのにウロウロするのが嫌らしい。
でもね、明日も行くよ!!!

2008年9月8日月曜日

ピートとパパの会話(JAZZ編その14)


ピー 「日米の物作りの違いってなんなのさ」
パパ 「歴史的背景を考察しないと解釈が難しいね」
    「先ず歴史、そして、オーディオを例に考えて行こうよ」
ピー 「オーディオなんちゅーのは、何処の国で作っても
    出てくる音は同じなんだろう」
パパ 「ちゃう、お国柄ちゅーもんがあるんだわさ」
    「日本は、1868年の王政復古以降、欧米に追いつけの
    国策の基、早急に近代国家としての体裁を整える必要
    があった」「その為、憲法から科学技術に至るまで、
    手っ取り早く欧米の'真似'をしてきたんだ」
ピー 「近代国家の基となるのは、憲法だわね」
パパ 「そうざんす。伊藤博文が、憲法草案の調査でプロイセン
    (現ドイツ地方)へ行った時、その国のおっさんから
    '憲法を持つには、それに相応しい国家でなければ
    ならない' と 野蛮国扱いされましたんやで」
ピー 「ひどいね」
パパ 「ここで伊藤はん、'何をぬかみそほうれん草、日本は、
    まだプロイセンのプの字も無かった頃、既に中央集権の
    律令国家だったやい'、と一発かましたかどうか知らんが」
ピー 「以来、必死のパッチで欧米の真似をしたおした?」
パパ 「そらもう箱物作りの根本は、ここから始まったと言える」
ピー 「鹿鳴館なんざ、その象徴だすな」
パパ 「以上が、今回の考察を行う上での歴史的前提だ」
ピー 「オーディオを語るのに、憲法草案の話まで必要なの~」
パパ 「話を進めよう。オーディオ装置に必要な物の中に、
    音響トランスがある」
ピー 「その部品が、日米比較に関係するの?」
パパ 「一番顕著な例だね」
    「日本は、明治以降一生懸命に欧米の真似をしたよね」
ピー 「ふむふむ、そのようだね」
パパ 「で、現代の話なんだけど」
    「日本のある音響メーカーが、米国の音響トランスと
    同等のものを作ろうとした」
    「色々研究を重ねた結果、米国のものより遥かに素晴らしい
    物理特性の音響トランスが出来上がったんだ」
    「で、それを聴いてみたんだよ」
ピー 「結果は?」
パパ 「物理特性が良くない米国製の方が、良い音がした」
    「日本製は、優等生的音質でメリハリがなく、聴いていて
    面白くないんだね。正に音のみを聴いている感じだ」
    「米国製は、物理特性は良くないものの、非常に音楽的な
    音として聴こえるんだな」
    「日本製は、米国製に比べ約6倍も物理特性が良いにも
    関らず、駄目なんだよね~」
ピー 「一体どういうことなのか理解でけましぇーん」
パパ 「日本の技術者は、西洋音楽をよく聴かず、
    また、理解することもなく、物理特性のみを追及した」
    「我が技術者は、物理特性さえ良ければ、音も素晴らしい
    筈だと思い込んだんだよ」「つまり、箱物志向だ」
ピー 「考え方というか、文化に対する根本姿勢が異なる
    気がするね。物作りの背景にある文化を理解しなかった」
パパ 「地方の役所が、コンサートホールは作っても、
    そこで演奏する日本人の演奏家を育てないのと同じさ」
    「ま、日本人にとって、それは仕方のないことだね。
    明治以降の追いつけ思想に、今も支配されているんだから」
ピー 「だからパパは、歴史的考察から始めたのか」
パパ 「音響に携わる技術者には、音楽的教養も必要だと思うよ」
    「米国には、音楽を如何に聴かすかという技術志向があり、
    それがノウハウとして音響トランスにも生かされている」
    「秋葉原の老舗音響屋の社長が、'今の技術者は本物の音楽を
     知らない、NHKの技術者でもそうだ’と嘆いていたよ」
    「文化を理解するか、技術志向のみで行くか、それが問題だ」
ピー 「シェークスピアじゃんか」
パパ 「先ほどの音響トランスは、何処かに日本人の知らない
    細工がしてあるんだ」
ピー 「細工とは?」
パパ 「トランスのコア材質・線材・捲き方等のノウハウだよ」
    「それが音楽性能として出てくるんだな」
ピー 「技術とその文化的背景かぁ。でも、技術志向のみが、
    今の日本の原動力になったんじゃないの」
パパ 「民生品の自動車や電子機器のように、プロダクトライン
    で流すような物作りは得意だね。世界最高品質を誇る」
    「だけど、物作りに西洋の文化・芸術を取り入れると
    なるとねぇ・・・・」
    「ウィーンのシュターツオーパーやミラノのスカラ座を見ると、
    サントリーホールなんかベニヤ張りの芝居小屋という
    感じがするね」「これも箱真似だ」
ピー 「日本古来の建築や古典芸能は、世界に冠たる芸術だと
    思うけど、国内ではどうして評価しないのかな」
パパ 「これも明治維新の欧米列強に追いつけ思想からきていると
    思うよ」「文化の灯台下暗しだ」
    「浄瑠璃の太棹が奏でる'死の音階'なんか、素晴らしいと
    思うけどね~」「これは、西洋に無い音階だ」
ピー 「そういえば、時々小唄や端唄、浪曲を聴いてるね」
パパ 「日本の町人文化じゃけんね。小唄なんか粋なものだよ」
    「そうだ前回、スタインウェイの調律について話したよね」
ピー 「中高音の3本弦だろう」
パパ 「日本人の調律師は、3本とも見事に音程を合わすんだ」
ピー 「流石日本人だね」
パパ 「ところがさ、音の響き具合が悪いんだなぁ」
    「スタインウェイが普通のピアノになる」
ピー 「それ、どう言うことなのさ」
パパ 「本場の調律師は、弦3本の音程をほんの少しずらすことで、
    音に奥行き感を出すんだ」
    「これは、大変なノウハウなんだよ」「日本でこの調律が
    できる人は、ヤマハに一人いるだけだ」
    「欧州で10年修行したんだって。NHKでも放送していたな」
    「著名な外国人ピアニストは、日本での演奏に際し、この人を
    指名してくるんだよ」
ピー 「ピアノだけを作っても駄目ということか」
パパ 「そ、日本の製造技術は世界最高水準なんだけど。惜しいね~」
    「やはり、西洋のものは西洋で修行しないと、物の奥に
    隠されている文化の真髄を体得することができないんだなぁ」
ピー 「突然だけどね、ジャズが世界的音楽にまで発展したのは、
    何故なんだろうね。不思議な感じがする」
パパ 「次回はそれだな」

2008年9月7日日曜日

西の空見て


おいら  「おっ母、明日いい天気になるで。 どっか行こな。」
おっ母  「うん。 検便やらワクチン接種やら・・・動物病院行こな。」
おいら  「うっ・・・。  明日の朝、〇〇〇出さんとこっと。」

天候不順で、ダレ犬


ここんとこ、天候不順が続きますねん。
散歩に出ても、何時雨に降られるか心配でんねん。
お天気お姉さんの予報は、宝くじみたいに全然当たらへんしぃ・・・
んで、おいら、骨っこを横に置いて、こんな格好で退屈しとりますねん。

2008年9月4日木曜日

ピートとパパの会話(JAZZ編その13)


パパ 「今日は、ジャズとアルテックスピーカーの音色の話だよ」
ピー 「音色って何なん?」
パパ 「メチャ難しい質問だ」
   「ま、楽器やスピーカーが持っている固有の音の聴こえ方
    だろうね」
ピー 「音質は?」
パパ 「音に歪があるとかないとかの状態を表すことかな」
ピー 「で、アルテックの音色は?」
パパ 「残念ながら、あまり音色が無いんだよ」
ピー 「ん?」
パパ 「モニタースピーカーはね、音色が着くと音の評価ができない
    から、無色になるように設計されている」
   「録音された音が、そのまま出てくるんだ。仕掛けも何もない」
   「ま、素うどん のようなものだ」
ピー 「なんだ、つまらんスピーカーだね」
   「家庭用スピーカーは、種も仕掛けもあるんだね」
   「おいらは、家庭用の方がいいな」
パパ 「それにモニタースピーカーは、 キンキンした相当きつい音
    がするよ」「だから、声を張上げるようなボーカルは、
    聴くのに慣れが必要だ」
ピー 「よくそんなので聴くね」
パパ 「興味の無い人には無理だろうね」
   「先ず、音の大きさに驚き、そのエネルギー感に腰を抜かす」
   「誰しも綺麗な音ですね、とは絶対に言わない」
   「物凄い音ですね、と皆さん言わはりますわ」
ピー 「自虐的だな、おれっちオーディオやめた」
パパ 「但し、録音によるんだけどね。慣れてくれば、一聴して
    アルテックに向く音源かどうか分かるようになる」
ピー 「だから、アルテック派は、再生装置に合った曲しか
    聴かないんだな」
パパ 「綾戸知恵のCDに、スピニング・ホイールという曲が
    あるんだけど、雷が落ちたような音がするよ」
   「ド迫力というか、凄いエネルギー感だ」
   「但し、知恵はんのボーカルは喧しくて聴けない」
ピー 「ま、あの人は、普段から喧しいけどね」
パパ 「バックの楽隊屋がエエ音を出しているというか、
    演奏だけなら聴いていられるよ」
ピー 「そうだ、楽器の音はどうなのさ」
パパ 「スネアドラムとかシンバルの瞬発音は、リアルで、しかも録音
    されたままの音が飛んでくる」
ピー 「あー、小太鼓の音か」
パパ 「スネアのブラッシングの音とか、物凄く大きく聴こえるん
    だけど、家庭用スピーカーで聴くと、何故か音が引っ込ん
    じゃうんだよね」
   「ビル・チャーラップ・トリオのス・ワンダフルに入っている
    マイ・シャイニング・アワーという曲のブラッシングの音が
    最高の出来栄えだね」
   「ブラッシュワークはケニー・ワシントンだとさ」
ピー 「上にある水上スキーの写真だね」
パパ 「このレコードは、ジャケットが60年代風だから買ったんだ」
    「中身の曲は、最近聴きだしたばかりだ」
ピー 「ジャケ買いだな」「おっ母に叱られるぞぉ」
パパ 「このジャケット、水上スキーとジャズとがどういう関係
    なのか分からん」
    「写真は2本スキーだから、安定が悪くてスピードが
    出せないぞ」
    「曳波の立ち具合からして、20ノット以下のスピードだな」
ピー 「2本スキーの方が安定すると思うけど」
パパ 「軸足が2本では、重量バランスが悪いんだ」
    「1本スキーは、コマの芯のように安定してフラつかない」
   「通常は、30ノット約55Kmくらいのスピードで滑るんだ」
   「転倒すれば、ベニヤ板に叩きつけられたような衝撃を受け、
    水面をバウンドしながら何回転も転がる」
   「気絶しそうになるから、ライフジャケットは絶対必要だ」
ピー 「チョイト父っつあん、話が横にズレとるばい」
   「ジャズに付き物のラッパの音はどうなのさ」
パパ 「ラッパも滅茶苦茶に喧しい。街宣車のようだ」
    「これは、音が鮮明すぎるのが原因だけど、実際に録音され
    ている音がそうなんだから、そのように聴くしかないね」
ピー 「ジャズは、ラッパの曲が多いけど何故かな」
パパ 「ジャズは、元々喧しい飲み屋で演奏されていたんだ」
    「そういう所で音が良く通る楽器と言えば、ラッパなんだ」
    「だからさ」
ピー 「そうか~、コルトレーンとかロリンズが好きな人には、
    アルテックが奏でるジャズは最高の雰囲気だろうね」
パパ 「パパは、音の分析が趣味だから良くわからないね。ホホ」
ピー 「ベースの音なんか、どないな音がするの?」
パパ 「うまく設計されていないスピーカーは、ベースの音階が
    不明瞭なんだけど、それが鮮明に聴こえる」
    「但し、家庭用スピーカーのようなボンボンした低音は出ない」
    「低音は、中高域の音を濁すから、必要最小限に留めてあるよ」
    「実際、自然界でボンボンした低音なんて存在しないしね」
ピー 「う~ん、おいら達は、何を聴かされているかわーらんね」
パパ 「アルテックで聴くブロンバーグの電気ベースは、どえらい
    迫力だよ」「ウッドベースも胴鳴りの音を含め、極めて
    鮮明に聴こえる」「音が、スピーカーという小さな点からじゃなく、
    バックの壁一面から出てくるような感覚だよ」
    「部屋全体がコンサートホールになる」
ピー 「ピアノはどうなのさ」
パパ 「ピアノの音は、難しいぞ~」
    「スタインウェイは、鍵盤の中高音に3本の弦が張ってあるん
    だけど、 少しずつずらして調律してある。理由は、また別途ね」
    「そのズレを、普通のスピーカーで聴いて分かるかな~・・・」
    「アルテックで聴くピアノは、カキーンという音が出てくる」
    「ただね、バド・パウエル時代のピアノは、録音技術が貧弱で
    駄目だな」「良くなるのは、50年代中期に入ってからだ」
    「それと、アルテックでピアノを聴くと、アナログ録音か
    ディジタル録音かの判別ができる」
ピー 「アルテックのモニタースピーカーって、何でも分かるんだね」
パパ 「元々は、米軍潜水艦のソナー用として開発されたんだよ」
ピー 「・・・何か分からないんだけど、最初から家庭用の音で録音
    しておけば駄目なの」
パパ 「前回も言ったけど、レコードやCDという音源は、放送局から
    一般家庭まで使うんだよ」「家庭用だけでは宣伝効果が薄い」
    「それに、音楽媒体を正しい音で作成しておけば、
    どんな再生装置にも対応可能だ」
ピー 「家庭用スピーカーの音色ってのは統一できないの」
パパ 「そりゃ無理だ」「各メーカーのマーケット戦略によって
    音色が違ってくるし、それに、限られたコスト範囲でしか
    製造・販売できないからね」
    「JBLでも、家庭用スピーカーをスタジオモニターと称して販売
    しているが、これは差別化の為に付けた名ばかりのものだね」
    「しかし、聴いてみた感じ、普及品よりは良い音がした」
ピー 「話を聞いていると、スピーカーが音の決め手だね」
パパ 「一度でもプロフェッショナルの現場で使うアルテックの
     スピーカーを聴けば、そらもう、病みつきになる」
    「特にジャズファンはね」
    「それに、アルテックは、機材の組合わせが自由にできる」
    「パパのスピーカーシステムも、好みの組み合わせにしてあるよ」
    「クロスオーバー周波数を決める機器は、必要部品を計算で求め、
     自分で組立てたものなんだ」
ピー 「これ、話が尽きないんじゃないの?」
パパ 「無間地獄だ」
    「次回は、オーディオから見た日本と米国の 物作りの違い
    を論じようぜ」
ピー 「よくまー、続くね」

2008年9月2日火曜日

実りの秋のはじまり



9月1日朝。  これから、ブルーベリーの収穫。
よーく熟した実は、ちょっと触っただけで、地面にポトポト。
手からこぼれた実は、みーんな、おいらがいただきっ!
でもね、おっ父とおっ母の知らない間に、木にかぶりついて食ってるんだ。

収穫が済んだら、浜へ遊びに行くんだーい!
    (この後、特訓が始まることを、ヤツはまだ知らない。)


家に帰って、夕食後・・・

この量が、土鍋で煮詰める一回分。
おっ母は、これから同じ事を四回繰り返す。
三回目くらいになると、おっ母の目が釣り上がってくる。

触らぬ神にたたりなし・・・・おっ父も、ピー兄も、もちろんおいらも、
そーっと、静かぁに、先に寝た。


しっかりとアク取りをして。
「あー、面倒くさ~。」・・・おっ母、真夜中に寂しい独り言。


  ・・・こうなりました!
おっ母は~、夜なべをして~、ベリージャ~ムつくっただよ~♪

2008年9月1日月曜日

ビッグな一日  (9枚)


                     (ブルーベリーの収穫が済んで・・・)
ひゃっほっほ~ 天気は真夏に戻ったぞ~!

(九月になると、誰もいないし、水もとってもきれい。)


おっ母ひとりで泳いでる。
おいら、浅瀬で水遊び~っと。


ピートママ 「ピートォ~、沖へ来てみぃ~。」
おいら  「やぁなこったぁ。」

あれあれ、なんでや~~~。
腕でしっかり抱えててな。絶対に放したらあかんで。


ピートママ 「ピート、放すよ。いいね。」
おいら  「あかん、あかん。おっ母は、オニかぁっ。」


うわぁっ! あかん。  たすけて~。 溺れるう~。
  こんなことを、何度も何度もくりかえし・・・・・・

あれっ?  おいら、浮かんでる?
よーし、がんばるぞ。  ・・でも、まだ怖いな。


ピートママ  「その調子。グッド、グッド!」


パパ・ママ 「すごい、すごい。 ピート~いいぞぉ。」


見て見て! おいら、もうカナヅチじゃないよ!
   ☆ 超気持ちいい。 なんも言えねぇっ!
 
     (ピートが、初めて、まともに泳ぎました。
         久々に、ハゲシク感動した一日でした。)