2010年3月30日火曜日

ご無沙汰しました!


ご町内の皆さ~ん、ご無沙汰のピートで~す。
  
実はね、3月に入ってから、パソコンの調子が悪くなったんだ。
悪戦苦闘の末、おっ父の悪友のSさんにお願いして、ようやく復旧したよ。
なんたって、Sさんはプロの腕前だからね。 多謝多謝!
  
そのうち、信州冬の旅を連載するから待っててね。
                          バイバ~イ!

2010年3月19日金曜日

ピートとパパの会話(その90 教育と先生の組合Ⅲ)


パパ 「前回の教育の剰余価値ΔMは解ったかい?」
ピー  「教育の剰余価値は、商品を扱うような数式で表せない
    と言う事が解った」
パパ 「それじゃ、パパが先生の組合にビートルズの’Revolution’
     を贈った意味合いは?」
ピー  「タイトルが革命と言う事は解ったけれど・・・・」
パパ 「では、ジョン・レノンの歌詞を見てみよう。1968年作だよ」

  You say you want a revolution
  Well, you know  We all want to change the world  
  You tell me that it's evolution
  Well, you know  We all want to change the world
  But when you talk about destruction  
  Don't you know that you can count me out
  Don't you know it's gonna be all right
  alright, alright・・・・・・・

  革命を起こしたいとあんたは言うそうだね
  誰だって世の中を変えたいと思ってる
  それがすなわち発展だとあんたは言うそうだね
  誰だって世の中を変えたいと思ってる
  だけど 破壊活動に頼ろうというなら  
  悪いが僕は加担する気はない
  そんなことするまでもなく 今に何とかなるさ
  大丈夫 何とかなるよ

  いい解決策があるとあんたは言うそうだな
  じゃあその計画とやらを聞かせてもらおうか
  そのために寄附が欲しいとあんたは言うそうだな
  僕らにできることならするよ
  だけど 憎しみに凝り固まった人々の活動資金に
  するつもりなら  僕に言えるのは ゛早まるな゛ のひとことだ
  そんなことするまでもなく 今に何とかなるさ
  大丈夫 何とかなるよ

  体制を変えてやるとあんたは言う
  それよりもあんたの頭の構造を変えてやりたいね
  新しい社会をつくるんだとあんたは言う
  それよりもまず自分の精神を解放したらどうだい
  毛主席の写真を持ち歩いてるようじゃ
  革命なんてとてもおぼつかない
  そんなことするまでもなく 今に何とかなるさ
  大丈夫 何とかなるよ ・・・(google訳)

ピー  「これ、1968年作だって~」
パパ 「そ、革命旋風が世界中に吹荒れていた頃だ」
    「中国共産党は、ソ連のフルシチョフ修正主義を猛烈に批判し、
    紅衛兵が滅っ茶苦茶な文化大革命をやっていた時代だよ」
    「カルチェラタン闘争や新宿開放区なんちゅーのもあったなぁ」
ピー  「ほう、ビートルズのRevolutionってのは、その頃に作られたんだね」
    「詞から察するに、革命を否定しちょる」
    「先生の組合も見習わなくっちゃね」
パパ 「でも、1969年のWOODSTOCKには、何故かビートルズは参加
    しなかった」
    「では当時、ベトナム戦争で地に堕ちた感じだったアメリカ国歌を
    ジミヘンの演奏で聴こう」
ピー  「喧しくて聴いてられないよう、ったく」
パパ 「そういう場合は、WOODSTOCKの精神でもって聴こう」
    「愛と平和の3日間だ」
ピー  「それでもおいらには五月蝿い」
    「Revolutionの歌詞に出てくる’毛主席’って誰よ?」
パパ 「毛おじさんやフルシチョフ修正主義の件は、話すと目茶長くなるから
    またにしよう」
ピー  「ほんじゃ、もう一度’Revolution’を聴いて、歌詞に込められた
    意味合いを感じ取って見るか」

2010年3月16日火曜日

もう、春ですねぇ


膳所公園から近江大橋を渡って、瀬田川の流れに沿って歩くと、
もうすっかり春の気配。

逆周りして歩いているおっ父に、おいらはぜんぜん気付かなかった。
  

あれ~~、なんでおっ父ここにいるの・・?
    

2010年3月14日日曜日

ピートとパパの会話(その89 教育と先生の組合Ⅱ)


パパ 「今日は、先ずこれから聴いて見よう。歌詞の翻訳付きだよ」http://www.youtube.com/watch?v=ELUfqABU2Ew&feature=related
ピー  「これ、フランス国歌?」
パパ 「そうだよ~ん。ラ・マルセイエーズだ」
ピー  「なんという暴力的な歌詞であることよ」
    「国旗は散髪屋さんの看板のようだし」
パパ 「フランス革命時の歌が、そのまま国歌になったのじゃよ」
    「だから血生臭い」
(君が代)
ピー  「おう、雅でおおらかだね~。おいらはこちらの方がいいや」
パパ 「ほんじゃ、これはどうだい?」
http://www.youtube.com/watch?v=NzJ2NKp23WU
ピー  「おや、出だしがラ・マルセイエーズじゃんか。旋律がマイルドに
    なったね~」
パパ 「と、言う事で前回の続きをやろう」
ピー  「結局、先生の組合は、軍国主義教育の反省から、教育の国家統制
    を嫌がると言う事だったね」
パパ 「国家が反動の道を選ぶのなら、その考え方は正しいと思うがね」
ピー  「要は、近代デモクラシーの精神が教育に生かされているかどうか
    だろう?」
パパ 「じゃが、先生の組合は、イデオロギーに忠実ときたもんだ」
ピー  「どうして忠実なん?」
パパ 「これはもう、初代委員長がマルクス主義者だったからね~」
    「その教えが先生の組合に受け継がれているのさ」
    「でも、全ての先生がそうではないらしいが・・・」
ピー  「じゃ、一部の先生は、学校でマルクス主義教育をしているの?」
パパ 「そこが問題なのじゃよ。教育の中立性に欠ける」
    「ま、マルクス主義教育をしているとは思わないが・・・」
ピー  「おいらは、普通の先生に教えて貰いたいなぁ」
    「ほんで、前回話していた先生の階級闘争って何のこと?」
パパ 「それは、先生の権利主張に深く関係してくるんだなぁ」
ピー  「ん?」
パパ 「資本主義社会には、金持ちと貧乏人がいるというのが話の前提」
    「金持ちは資本家で、貧乏人は労働者という設定だ」
ピー  「何か演劇の役どころみたいだね」
パパ 「マルクスは、この資本家対労働者の関係を階級という概念で定義
    づけ、資本家が何故儲かるのかを数式で説明した」
    「んで、両者の間には必然的に対立関係が生じ、それが革命に発展
    すると仮定した」「唯物論と弁証法の連携解釈だ」
ピー  「コラボレーション? 抽象的でさっぱり解らん」
パパ 「ワシもわーらん。要は、人間の経済行動は全て数式で定義できる
    と言っちょるらしい」「それと歴史は変化するのが必然だと」
ピー  「人間の精神行動も、数学や物理学で証明できると??」
パパ 「そうだ、だから弁証法は、革命の代数学と言われちょるし、その
    概念を取り入れたマルクス主義を科学的社会主義と呼んじょる」
ピー  「訳が解らんけど、階級とか対立とか、何か喧嘩腰だねぇ」
パパ 「マルクスは、労働者が貧乏なのは資本家による搾取が原因だと
    言い、更に革命家レーニンは、貧乏を無くすには革命による
    権力奪取が必要だと焚き付けちょる」
ピー  「ほんまかいな~? 何か変な気がするなぁ」
パパ 「それで先生の組合も、かつての帝国主義による軍国教育の反省
    から、全ての教育闘争を階級闘争と位置づける事にしたのさ」
ピー  「う~ん、資本主義→帝国主義・軍国主義→階級闘争という構図
    だね」「資本主義=悪、みたいな表現じゃんか~」
パパ 「彼の国のプロパガンダがそうなのじゃよ」
    「そのプロパガンダを信じるか否かは、社会的な客観性で判断
    すればよろしい」
ピー  「階級闘争を説明するのに、そんな訳が解らん事から入らんと
    あかんのかいな?」
パパ 「じゃけん、階級闘争を煽動するのは、労働者ではなく理論のみ
    に魅せられた非労働者階級なのじゃよ」
ピー  「それで、階級闘争と教育が何故関係するのか、おいらには
    さっぱりわーらんね」
パパ 「先生も労働者だという認識をすれば、解るかも知れない」
ピー  「そうか~、マルクスは資本家と労働者という二つの階級しか
    示していないんだ」「で、権力は資本家階級に掌握されている」
    「先生の立場は、労働者階級に属するという認識だね」
    「だから、教育の国家統制を排除するには、階級闘争を通して
    資本家階級を打倒する必要があると言う事かいな?」
パパ 「そうだよ~ん」「軍国主義体制下、先生という職業は聖職だとされ
    たから、労働者としての権利を主張することが困難だった」
    「ま、その時代の反動から階級闘争に向かったということもある
    かも知れない」
ピー  「でも、労働の多様性がある現代社会で、なぜ労使の対立を煽るの
    かなぁ」「労使協調ってこともあるじゃん」
    「マルクスの社会観や労働観は、0か1かのディジタル表現だね~」
パパ 「面白い事を言うねぇ」
    「でも、教師は労働者であるという立場から、その当然の権利を
    勝取るちゅーのが、先生の組合の主張でありまんねん」
    「ストライキ権とかさ」
ピー  「それで先生の組合は、政治闘争をするのか~」
    「そこんとこが、前回の権利の主張という部分なんだね~」
パパ 「これが、前回の話を含め、組合発足当時の思想的背景だよ」
ピー  「しっかし、先生の組合が考える階級闘争と教育は直接関係ないと、
    おいらは感じるけどね~」
パパ 「先生の組合は、自分達を単なる労働者と認識したことで、民主
    教育やその中立性を如何に守るかということよりも、階級闘争が
    主になってしまったのさ」「つまり、闘争が左傾化し、当時の
    社会党と政治的に結びついてしまった」
ピー  「参ったなぁ」「そこから国旗掲揚反対や君が代斉唱反対へと
    結びついて行くのかぁ」
パパ 「では、教育と階級闘争の矛盾を、ちぃっとだけ考察して見よう」
    「あのね、マルクスの労働価値説というのがあって、それは労働と
    剰余労働という二つの基本概念で構成されているんだ」
ピー  「難しそうだな~。それが何を意味するのか知らん?」
パパ 「難しい事は学者に任すとして、簡単に言えば、物を生産する時に
    は、原価としての労働と利潤を生み出す労働の二種類が同時に
    存在すると、マルクスは言っているんだ」
ピー  「利潤を生み出す労働とは、儲けの部分を指すのだね」
パパ 「そうそう、この儲けの部分は、労働者が生み出したにも係わらず、
    資本家が全部取ってしまうと言うのが、労働価値説の中身だ」
    「マルクスは、この取られた部分を剰余価値と名付けた」
ピー  「解った、その取られたことを指して、搾取と呼ぶんだね」
パパ 「で、この取られたものを取り返す方法が、革命による権力奪取だと
    言う訳さ」
ピー  「今の日本じゃ、非現実的な物語にしか聞えんよ」
    「日本は、議会制民主主義の国だよ。権力奪取って暴力革命だろう」
パパ 「そこでだ、先生の労働をこの労働価値説の関係式で考えると、
    生徒は先生の労働によって生み出された生産物と定義できる」
    「じゃ、教育に於ける剰余価値って、一体何なの?と言う事になる」
ピー  「先生の労働は、マルクスの労働価値説では説明出来ないのかぁ」
    「先生の組合が、教師も労働者であると言って、民間労働者と同じ
    ような闘争を行うのは考え物だねぇ」
パパ 「マルクスの労働価値説は、剰余価値が生まれる事が絶対条件だ」
    「でないと、階級闘争も革命もあり得ない話になる」
ピー  「教育の剰余価値って、数式では説明出来ないのかぁ」
パパ 「マルキストは、そこを誤魔化して、先生の組合を階級闘争に
    引きずり込んだ、とパパには思える」
ピー  「ますます教育と階級闘争は別物だと思えるなぁ」
パパ 「教職労働と言うのは、生産物を対象とするような労働概念ではなく、
    もっと人間的な概念で説明されないとね」
ピー  「そうか、人間の教育を行うんだから、労働を商品と看做すような
    マルクス思想を前提とした労働観には、疑問が生じると言う事か」
    「ということは・・・、聖職と看做した方が中立性を保てる?」
パパ 「先生の組合は、労働価値説で教職労働を定義付けようとするから、
    階級闘争をやらざるを得なくなる」
    「大体やね~、マルクスとかレーニンとかって、産業革命当時の
    資本家と労働者の関係を論じている前世紀の思想家と革命家だ」
ピー  「何故先生の組合は、そんな古臭い非現実的な思想に傾倒するのよ」
パパ 「先生の労働環境は、社会から隔絶されたような状況だからねぇ」
    「世の中の変化が見えないというか、だから組合発足当時の思想の
    ままで居られるんだ」「思想的に純粋培養されるんだな~」
ピー  「先生の組合も、社会の変化に合わせた改革が必要だね」
パパ 「それに、公務員としての身分が保障された上での闘争を展開して
    いるからねぇ。何ともはや」
ピー  「民間組合では、そうはいかんわね」
    「先生の組合も、反軍国主義の立場から教育の国家統制に異議を
    唱えるのなら理解できるけど、イデオロギーの立場からではね~」
パパ 「しかし、最近は闘争もマイルドになってきたらしいよ」
    「文部科学省と和解したとかしないとか・・・」
ピー  「パパは社会主義が嫌いなん?」
パパ 「革命を起こした社会主義国は貧しいままだ。好き嫌いではないよ」
    「レニングラード音楽院に留学していた前橋汀子は、ソ連で落ち
    こぼれると食べて行けないと語っていた」
    「成熟した資本主義社会は、まだ最低限の社会保障がある」
ピー  「うん? 先程の剰余価値が、革命によって労働者の手に戻るの
    だから、社会主義は豊かになって行く筈じゃなかった?」
パパ 「社会主義では、豊かになる剰余価値が経済学上生み出せないんだ」
    「そもそも社会主義経済は、剰余価値なんて概念が存在しない」
    「資本主義は、経済学上剰余価値を生み出せるから、それを労使で
    分け合えばいい」「それが社会保障の財源にもなる」
ピー  「つまりこうかい、マルクス経済学は、資本主義の経済構造を分析
    したのであって、社会主義での剰余価値には言及していないと?」
パパ 「こじつければ、そう言う事ではないかと。だから社会主義国は、
    財源を生み出せなくて、内に向かって崩壊しちまった」
ピー  「先生の組合は、早くイデオロギーから卒業して貰いたいものだ」
    「しかしまあ、年中よくそんなことばかり考えているね~」
パパ 「ほほ、趣味じゃけん」
    「では、先生の組合にこの曲を贈ることにしよう」
    「The Beatles Revolution」
ピー  「革命? 嫌味だな~・・・ヒヒ」

2010年3月11日木曜日

ピートとパパの会話(その88 教育と先生の組合Ⅰ)


ピー  「左の人は誰? ↑」
パパ 「日教組の初代委員長である羽仁五郎だよ」
    「ベストセラー’都市の論理’の著者でもある」 
ピー  「この前さ、教育について話そうって言っていただろう」
パパ 「ああ・・それで?」
ピー  「ちょっと気になってさ~」
パパ 「北海道にある先生の組合の件かい?」
ピー  「そう、一体先生の組合って組織は何なん?」
    「平和教育を考える組織って聞いていたけど・・・」
パパ 「そのようだね・・・。でも、ちとね~・・・問題が・・・」
ピー  「それにさ、国旗・国歌に反対しているだろう。どうしてなの?」
パパ 「先ず、先生の組合が何故出来たのか? だが~・・・」
    「戦後、連合国の命による民主化の一環として、1945年に
    結成された」
ピー  「組合が連合国の命で結成されたぁ?」
パパ 「日本の軍国主義教育よ、さようなら~。と言う訳さ」
    「これを機に先生達は、一つの反省と一つの権利を主張した」
ピー  「その反省と権利とは?」 
パパ 「むか~し、先生達は、教え子を天皇の名の下に戦場へ送り出し、
    その多くを死なせてしまった。と、語っていた」
    「そういう軍国主義の片棒を二度と担がないという反省が一つ」
ピー  「なるほど、昔の先生は、軍国主義教育を行っていたんだ」
パパ 「その主体が皇国史観としての天皇であり、軍国の御旗となったの
    が、日の丸と君が代だったという解釈だよ」
ピー  「でもさ、日本の国旗・国歌が軍国主義とは思えないけどねぇ?」
パパ 「日の丸は軍国当時の国体を体現しているし、君が代も然りという
    考え方だよ」
    「因みに、同じ敗戦国であるドイツ国歌は、ワイマール共和制時代
    のものだよ」「1番の歌詞はナチス時代に使用されたからペケ」
    「で、現在は3番の歌詞を国歌として採用している。旋律は同じだ」
ピー  「1番とか3番とか、どの国も似たようなもので、その国が絶頂期
    だった頃の国歌を忘れられないと見えるのう~」
パパ 「3番は、東西ドイツの統一を願う意味が含まれていたからだよ」
  これがドイツ国歌
  これはソヴィエト連邦共和国の国歌(ロシアになっても旋律は似ている)http://www.youtube.com/watch?v=kERsiFGUugI&feature=PlayList&p=E3DED6265739154A&playnext=1&playnext_from=PL&index=29  
ピー  「インターナショナルじゃないね」
パパ 「それは1943年までのソ連国歌で、現在は党の歌になっている」
    「インターナショナルは、歌った覚えのある人も多い筈だ。ヒヒ」
ピー  「それで先生の組合は、君が代 の何を問題にしているの?」
パパ 「君が代とは、’天皇の世’と言うことなのさ」
    「千代に八千代にと言うのは、天皇の世が千年も八千年も続くと言う
    意味だよん」「元々は古今和歌集の短歌だと習ったなぁ」
ピー  「君が代は、天皇家の繁栄を歌っているのか~」
    「すると、憲法で規定する主権在民と君が代は矛盾するじゃんか?」
パパ 「ま、理論的にはそう言う事になるね」
    「だから先生の組合は、一家系の繁栄のみを歌った国歌に猛反対
    するんだわさ」「それと、戦争にも使われたから余計にね」
    「しかし、この憲法矛盾は、日本と同じ立憲君主国であるイギリスや
    ベルギーでも同様に存在する」
ピー  「憲法に理論的な矛盾があるにしても、結局のところ、その国の
    歴史や国民性に重きを置かないと駄目だよ」
    「憲法解釈は、そのようにあって欲しいと、おいらは望むねぇ」
パパ 「日本の歴史と国民性かぁ、そうかも知れないなぁ」
    「そこんとこは、憲法学者と歴史学者に任すとして~・・・」
ピー  「ほと、組合結成の一つに、軍国主義教育への反省があったんだ」
パパ 「しかし、天皇制の維持には、軍国主義を復活さす意図があると、
    組合は未だに考えている」「つまり、教育は何時でも反動化する
    という恐怖心だ」
    「んでもって、国旗掲揚にも国歌斉唱にも反対する立場をとる」
ピー  「ほ~ん?、文部科学省の教育方針にも反対するのは何故?」
パパ 「教育方針の上意下達は、過去の軍国主義教育の強制と同じだと
    いう考え方からだよ」「上意は体制に都合の良い内容であるからして、
    民主教育に反する。だから、教育方針は教育現場で考えよう、と」
ピー  「おいらから見れば、被害妄想というか、考えすぎだと思うがねぇ」
    「今の小沢どんの方が、よほど反教育的だよ」
パパ 「ところがじゃよ、この考え方というか、先生の組合がイデオロギー
    に利用された、とパパは考えちょる」
ピー  「利用された? どういうことなのか知らん?」
パパ 「むか~し、彼の国のレーニンという人が、戦争が勃発する原因は
    帝国主義にあると言い出した」
ピー  「帝国って、また古臭い」
パパ 「帝国主義ちゅーのは、自国の経済的拡張を図るため、軍事力で
    他国を侵略するものなんだ」
ピー  「他国を軍事侵略、そらあかん」
パパ 「レーニンは、帝国主義論の中で、資本主義が最高段階に達すると
    帝国主義に向かうと説明している」「1900年頃の考え方だがね」
ピー  「資本主義の最高段階が帝国主義~? 何のこっちゃ?」
パパ 「簡単に言うと、資本主義は拡大再生産によって発展をしていく
    から、必然的に他国に市場と資源を求めざるを得なくなる」
ピー  「拡大再生産って?」
パパ 「物を生産して利潤を得、その利潤を投資に使って更なる
    生産拡大を行うことだよ」「ま、自転車操業のようなものだね」
ピー  「ほと、より多くの利潤を得ようとすると、自国だけでは市場も
    資源も足らなくなって行く?」
パパ 「すると、市場と資源を求めて帝国主義同士の戦争が始まると
    いうのが、革命家レーニンの筋書きだ」
ピー  「第二次世界大戦は、経済覇権を争う帝国主義戦争だった?」
パパ 「レーニンは、それを独占資本による経済拡張の結果だと言った」
ピー  「独占資本とは何ぞや?」
パパ 「独占資本は、20世紀初頭に登場した巨大資本形態で、銀行資本
    と産業資本の融合と集中の結果生まれた」「つまり財閥だ」
    「この財閥と国家が結びついて帝国主義が生まれる」
ピー  「ほほう、だから資本主義の最高段階が帝国主義となるのかぁ」
    「すると、帝国主義が消滅しない限り、戦争は無くならないと?」
パパ 「レーニンの考えではね」「だから平和教育を目指す先生の組合は、
    反帝国主義の観点から、イデオロギーを信奉することとなった。
    とパパは考えているんだ」
ピー  「ほう、イデオロギー綱領の抵抗し難い誘惑だな~」
    「先生の組合は、それに乗っちまったんだ」
パパ 「ところが、イデオロギーは平和主義でもなんでもないんだなぁ」
    「北方四島はソ連に軍事占領されたままだし、中国は資源確保の
    ため南方諸島の領有権を主張し、島に軍事基地を建設したし」
ピー  「なんじゃ? イデオロギーも帝国主義と何ら変わらんじゃないか~」
    「これはもう、教育の中立性を考えねば」
パパ 「その教育が、特定のイデオロギーを信奉する先生によって歪めら
    れている気がしてならない」「民主の玉の輿とかさ~・・」
ピー  「玉の輿は、教育の中立はあり得ないと言っていたよね~」
パパ 「裏を返せば、教育現場で社会主義教育を行いますよ、と宣言した
    ようなものだよ」「鳩やんが慌てて取り消したがね」
ピー  「イデオロギーに利用されるとは、そういうことかぁ」
パパ 「その後、先生の組合は階級闘争へと突き進むことになる」
ピー  「で、もう一方の権利主張とは?」
パパ 「お腹が空いたから次回にしよう」
ピー  「ごはんだね! 賛成、賛成」

2010年3月8日月曜日

雨、止んだ~


二日間の雨で、エネルギー満タン状態。
カラリと晴れたなぎさ公園で、走る、走る!
  

2010年3月2日火曜日

ピートとパパの会話(その87 スポーツと品格?)


ピー  「最近、スポーツでの服装とか行動が問題になっているね」
パパ 「相撲とかスノボーのことだろう」
ピー  「朝モンゴル山の相撲スタイルはさ、一体何処が問題なん?」
パパ 「相撲は単なるスポーツではなく、古代から受け継がれている神事
    なのさ~。だから、国技なんだよ」「そこを理解しないとね」
ピー  「神事?」
パパ 「相撲は、五穀豊穣を願う農耕儀礼として、神に奉納されていたんだ」
    「相撲の起源は、天照大神にまで遡ることが出来るんだよん」
    「従って、神道に基づく礼儀作法を重要視するのが、その特徴だ」
ピー  「ほう、単なる格闘技ではないんだね~」
パパ 「そうだよ~、朝モンゴル山は、そこを理解出来ずにいる」
    「彼ばかりでなく親方衆も、相撲の品格とは何ぞや、という問いに
    答えられずにいる」「そこが問題だねぇ」
ピー  「興行として、技の伝承だけで済ませているのかぁ」
    「ほと、相撲の品格とは、この神事を如何に理解して行動しているか、
    と言う事だね」
パパ 「そう、そのことに対する理解度が、品格や節度となって行動に
    現れてくる」「例えば、負けた相手に如何に敬意を払えるかだ」
ピー  「神事に於ける行動様式だね」
    「単純に勝ち負けだけを決める世界じゃ無いと言う事かぁ」
パパ 「昔さ、タイのキックボクシングが流行ったろう」
ピー  「TVがまだ白黒だった時代だね」
パパ 「当時、タイ選手が競技前に祈りを捧げる儀式を行っていた」
    「それも笛や太鼓の鳴物入りでね」
    「日本人は、これを単なる精神高揚の踊りとしか見ていなかった」
    「だけどタイは仏教国だ。当然格闘技の中にも仏事の精神が
    存在する」
ピー  「なるほど~、タイのキックボクシングも仏事なんだ」
    「朝モンゴル山の立場は、そこを理解出来なかった日本人と同じかぁ」
パパ 「これは、朝モンゴル山個人の問題ではなく、伝統に対する教育を
    怠った相撲界や文部科学省の問題だね」
ピー  「相撲が興行収入だけの世界になっちまってるのか~」
パパ 「あのね、相撲はどうして裸で行うのか解るかい?」
ピー  「うーん?、おいらは万年裸だけどね~」
パパ 「これは、神々に対する敬意を表しているのさ」
    「俗世間の物を身に纏わない事で、神前での清さを表現しているんだ」
    「つまり、相撲は神に捧げる神聖なる闘技と理解し得る」
ピー  「ほう~、御前格闘技だ」
パパ 「横綱の注連縄(しめなわ)にも意味があるんだよん」
    「注連縄というのは、神が寄りつく場所に張るから、それを身につけた
    横綱は御神体を体現しているんだ」
ピー  「横綱というのは、そんなに神聖なものなのか~」
パパ 「神垂(しで)も垂らしているから、そこは神が宿る神域と理解できる」
ピー  「相撲の様式には、特別な意味が沢山あるんだねぇ」
パパ 「土俵入りで、横綱が両手を上げている姿は、神社の鳥居を表現して
    いるようだ」
ピー  「相撲は、元々奉納試合から始まったんだろう?」
パパ 「そう、五穀豊穣を願う稲作信仰が起源だと言われている」
    「ほんで、天皇が相撲観戦をするのにも理由があると思っちょる」
ピー  「国技だから?」
パパ 「歴史を遡ると、天皇家は五穀豊穣を祈願する司祭だった、とパパは
    考えているんだ」「国の政(まつりごと)を取り仕切って、官位を
    与える権威を独占していたとも言える」
    「その意味から考察すると、天皇は三島由紀夫の言う'穀物神'なんだ」
ピー  「そこに天皇が相撲を観戦する意味合いがあるんだね」
パパ 「土俵も神が宿る神奈備(かんなび)という考え方があり、そのため
    土俵の中心には、神への供え物が埋められていると聞く」
ピー  「何処までも神道なんだ」「ところで神奈備って何?」
パパ 「神霊が宿る場所で、鎮守の森とか山とか岩とかを指すんだ」
    「そこで起こる森羅万象すべてが、神の成す業と考えるのじゃよ」
ピー  「夫婦岩とかだね」
    「ほと、山の場合は、それが山岳信仰となったのかぁ」
パパ 「ほんでね、空海が高野山を開き、最澄が比叡山を開いたんじゃよ」
    「これは、山に対する畏敬の念から生じたと考えられる」
ピー  「は~ん、だからおいら達犬族が山へ登ると嫌がる人がいるのか~」
パパ 「そいう人達は、犬が嫌いなのではなく、山を聖域と考えているんだ」
ピー  「でも昔から山には、狸や鹿や熊なんかも生息してるじゃんか」
パパ 「自然のものは全て神聖なものという考え方だ」
    「でも、ピート達は人間に係わっているから、俗っぽいと認識され
    るんだ。それでだよ」
ピー  「日本人の心には、そういう自然への信仰が存在してるのかぁ」
パパ 「自然崇拝・精霊崇拝というか、自然にある全てのものには霊魂が
    宿るという考え方だね」「相撲もそういう概念に支配されてきたのさ」
ピー  「それでか~、相撲に限らず日本の武道には、神道に通じる考え方
    があるのは~」
パパ 「日本のスポーツは、根性根性と言ってきたろう。これは神道に基づく
    精神論であり、勝ち負けが最終目標では無いのさ」
    「そこには、精神を鍛錬して神に近づくという古代の美意識がある」
ピー  「ほう、三島由紀夫の世界だね~」
    「だから外人には理解し難いのかぁ」
パパ 「しか~し、欧米の勝負を目的とするスポーツの考え方が入ってきて、
    日本も変化したのじゃよ」
ピー  「単に勝てば良くなったのかい?」
パパ 「話を突き詰めれば、相撲の資本主義化だ。興行収入としてのね」
ピー  「スポーツも経済学の範疇に入ったんだ。はは」
パパ 「朝モンゴル山から見れば、相撲も単なる興行格闘技の一つとしか
    写らないから、勝てばガッツポーズも出ようというもの」
    「ま、日本へ稼ぎに来ているという感覚だろうね」
ピー  「スノボーはどうなのよん?」「国母パンツに批判集中だけど」
パパ 「あれは、スポーツとしての歴史が極めて浅い」
    「神道というか、外国でのアニミズムというか、そういう根源的な
    精神が存在しない」「それ故、気楽なスポーツに思える」
ピー  「米国生まれのスポーツは、そういう傾向にあるね」
パパ 「本来的に楽しければ良いんだ。それが米国のスポーツというもの」
    「国母パンツは、その気楽さを公式の場に持込んだんだ」
ピー  「それが問題となった?」
パパ 「公に於ける行動様式の教育を受けていないんだな~」
    「だから、公的な場に於いても、服装なんて関係ねぇ、ということに
    なる」「極めて粗野なる自由や個性の表現だ」
ピー  「オリンピックは、開催国の元首も出席する国際大会だからねぇ」
    「町内の運動会とはちゃうわね」
パパ 「公の場は社交場でもあるから、正装をするのが建前なんだが・・」
    「国母パンツは、そこへガキの姿で出てきた」
ピー  「公私の違いをわきまえる能力に欠けるんだ」「先程の品格だね」
    「でも、あの国母パンツの事件で、スノボーに注目が集まったとか」
パパ 「品格の無さに注目が集まっただけだよ」「スノボーは、品格には
    程遠いスポーツだと評価されちまったい。ったく」
    「人々は、国母パンツという人間を通してスノボーを見てしまった」
    「そこに、日本を背負っているという大変な重責を感じる筈なんだが
    ねぇ・・」「浅はかとしか言いようが無い幼稚さだ」 
ピー  「国母パンツは、そこを理解できないのかぁ」「だとすれば、スノ
    ボー界に大変な迷惑を掛けたことになるね」
パパ 「真央ちゃんの発言や行動とは雲泥の違いがある。残念なことだが」
ピー  「なるほど、どえらい違いだ」
パパ 「但し、NHKで放映していたドイツ人のスノボーメダリストは、
    科学的に物事を考える常識的な人物だった」
    「やはり日本では、国母パンツの行動や言動が、スノボーのイメージ
    を悪くしてしまったんだなぁ」
ピー  「スノボーは、どうしてあのブカブカの服装で滑るのかなぁ」
パパ 「あのスタイルは、スキーやスケート選手のようなスマートさが無い」
ピー  「不細工だね~」
パパ 「空気の抵抗も大きい筈だが・・」
    「あの種の競技スタイルは、ファッションと一体だから訳が解らん」
    「サブカルチャーの発展型だ」
ピー  「だとすれば、ファッション点も加味すればいいんだ。ヒヒヒ」